名前のない神々の元。 [東京photo]





ずいぶん前の写真になってしまいましたが…桜の季節の前に、造花ながら満開の桜です。
浅草橋周辺はこういうディスプレイのための商品を扱う問屋さんがいっぱいあるので、いつも
少し季節を先取り。本当に桜が咲く頃には藤の花やひまわりなどの造花が咲き乱れるようになり、
ああ、もうすぐそんな頃か、と目を細めて眺めています。
一枚目は、もうすぐ上の子の受験という時だったので、祈るような気持ちで撮っていました。
祈る、 と書いたものの、実は願掛け的なものは一切無しの受験でした。神社とかお寺に行って
絵馬などで合格祈願をしたりするのかな、そういえば読んだ受験本の中に、神社で祈祷してもらう
場面があったな…とぼんやり思っていたのですが、実際に受験が近づいてきた時に本人に
「どうする?アンタの気持ちがそれで安らかになるというならお守り買ったり絵馬を書いたりしても
いいんだけど、自力で頑張って合格して、後でその分のお金をおこづかいにしてあげてもいい。
どっちにする?」と訊いたら、「おこづかいでよろしく!」の返事(笑)。
実際の受験の時には周りの子たちのカバンにいくつもお守りが下がっているのを見ましたが、
ウチの娘のには一つもなし。でもそれを見ながら「努力してきたのはこの子自身で、支えてきたのは
遠くで心配して応援してくれた相方の両親や私の母、そして私たち家族のはず。神様はもういい、
まだまだこれからの人生、 努力だけではどうしようもなくて、神仏にすがりたくなるような時も来る
だろうから、その時にまた自分で選べばいい」と、妙にさっぱりした気持ちでいました。
もちろん、お参りに行ったり、お守りを買ったりという行為を否定するつもりはありません。
何であったっていいのです。自らが納得し信じるのならば、お守りは想いの強力な寄り代になるでしょう。
祈りの言葉は言霊となって内側から人を支え温める力にもなると思います。
ただ、私自身は人の形をしていたり、名前の付いている神様をそのまま信じられないタチでして…(^_^;)。
超現実的な母(こう書くと、シュールレアリスムな母、みたいですね。実利のみを追求するという意味で
『超・現実的』です。)に育てられた影響が強すぎたのだと思いますが☆
信じるのならば私は神格化・擬人化される前の力そのものにしたいです。
美しいものに宿る力、言葉の力。光。雨となって降り注いではまた空に上る水の循環、流れていく風の行方。
火の熱。沢山の命を芽吹かせる土…。それらを感じて感謝しながら生きていれば、名前のある神々は無くても
いいかな…と。ただ、外国に行ったときに信仰が無いと言うと話がややこしくなるので、プレアニミズム(pre-
animism)とかShin-touとか言った方がいいのかなと考えますけど。
あれ、どうして造花の桜からこんな話に(^_^;)。
でも、また季節は移ろいますね。本物の桜も、もうすぐほころぶ春…。









-8ee96.jpg)








